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02 Sep 14 UTC Spring, 1938: 英大衆紙 デイリーテレグラフ「ネヴィル・チェンバレン首相、精力的に外遊。他国の領土拡大については不介入の方針。首相談話『各国首脳と良い会談ができている。欧州の平和は近い』」
04 Sep 14 UTC Spring, 1938: 英大衆紙 デイリーミラー「【速報】チェンバレン政権、内閣改造の意向を表明。緊張が高まる欧州情勢を受け、挙国一致内閣を求める国民の声に保守党政権が譲歩。突然の再組閣には国王陛下の意向という情報もあるが、真相は不明」
04 Sep 14 UTC Spring, 1938: 英高級紙 タイムズ「挙国一致内閣、首相に労働党のアトリー氏が就任。外相兼副首相にチェンバレン前首相、海軍大臣にチャーチル氏が復帰。国民からの人気の高いチャーチル氏の復帰、支持率の高い労働党党首のアトリー氏を首相に据えたことで、国内情勢を安定させたい政府の思惑がみて取れる。サプライズは新党のオズワルド・モズリー氏の内務大臣ポストでの起用。大臣経験者とはいえ、議席数0の政党からの大臣登用には驚きの声」
04 Sep 14 UTC Spring, 1938: 大衆紙 ザ・サン 「本誌独占!前外相 アンソニー・イーデン氏 単独インタビュー『ネヴィルの唱える宥和政策はクソクソアンドクソ。ヤツに宥和政策は我が国に栄光をもたらすのかと問うたら、大臣を罷免されてしまったよ。我が国は連合国の盟主として、強く凛々しくあらねばならぬのだ。それがわからぬチェンバレンは至急辞任すべき』」
06 Sep 14 UTC Autumn, 1938: 英大衆紙 デイリーメール「【速報】アトリー首相、チェンバレン副首相が退任を表明。宥和政策の推進により、英仏海峡へのフランス軍の進出を招いた責任をとった形。内閣総辞職へ。国王陛下は事態を受け、東京から至急帰国。」
06 Sep 14 UTC Autumn, 1938: 英大衆紙 デイリーメール「【速報】アトリー首相、チェンバレン副首相が退任を表明。宥和政策の推進により、英仏海峡へのフランス軍の進出を招いた責任をとった形。内閣総辞職へ。国王陛下は事態を受け、東京から至急帰国。」
08 Sep 14 UTC Autumn, 1939: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「アドルフ・ヒトラー総統閣下はかねてより、我が民族の栄光のためにご自身の病を押して国家の指導にあたられていたが、このたび、病状の悪化により指導の続行が困難と判断された。総統閣下は後継者として海軍総司令カール・デーニッツ元帥を指名され、元帥は閣僚首班にフォン・クロージクを任命、組閣を命じた。総統閣下の英断により、我が民族はさらなる栄光へと歩を進めるであろう。ジーク・ハイル!」
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 【速報】フランス=ソビエト共和国国家評議会は、将来における石原式発動を求める動議を可決した。我が領土を敢へて0.001mmでも侵犯しやうとする特定国に対し無慈悲な鉄槌を下すことになる。侵略者は白頭山の雪崩も東海の荒波も決して止めることは出来まい。法国中央人民政府永垂不朽。法国中央人民政府一定要解放全欧州。法国中央人民政府与馬列主義万歳。
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: アメリカ ニューヨークタイムズ ロンドン支局「【速報】イギリス国王ジョージ5世、親政を宣言。詔勅によりチャーチル政権に影響力を行使していたといわれる国王は、遂に親政に踏み切った。ここまでブリテン島に戦火を拡大させなかった国王を国民の多くは支持しており、親政は議会でも承認される見通し。チャーチル首相は辞任を表明し、次期首相には親政への移行を主導したモズレー内務相が指名が確実とみられている。
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 大衆紙 デイリーメール「【前首相チャーチル氏独占インタビュー】『忌々しいアカどもに配慮しなければいけなかったのは、国王陛下の意向。国王陛下のお声は無視できなかった。
国王陛下が親政を決断されたのは、今でも間違いだと思っている。
モズレーの糞野郎は絶対に許さない。顔も見たくない。あのファシストどもの手先め!」
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 大衆紙 デイリーミラー「【速報】チャーチル前首相逮捕。罪状は不敬罪。
一方、議会ではモズレー氏が首相に選出された。」
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 大衆紙 ザ・サン「国王陛下の狂気!王室の醜聞! 国王陛下のキチガイ発言集『チェンバレンはよくやった...不可能だと思っていた親政の道を切り開いたのは間違いなくチェンバレンの失態だ』『この立場に生まれたからには人々を支配したい... 支配に適しているのは恐怖だ... 死体を7桁, いや8桁作ればよいかな』『この手を血で染めたい... まずはチャーチル貴様からだ』」
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「【一面】我が第三帝国はイタリア共和国、スイス共和国、およびベルギー王国の固有の領土を脅かす侵略者に対して集団的自衛権を発動、宣戦を布告した。軍部の報告によれば、すでにベルギーとスイスを友軍との共同作戦によって解放したという。また、総統府は同日、暴力による共産主義革命を全欧州に波及させんとする策動から同胞を守るべく、東方に治安維持部隊を派遣した。総統府の的確な外交判断は全欧州の秩序維持に大いに寄与するとみられる。 【二面】アーリア人の同胞・英国の一部部隊が領海侵犯。識者の見立てによれば、政府内に昨今生じた内紛により、コントロールを失った可能性がある。総統府は遺憾の意を表明するとともに、即座に英国大使の召還を決定した。ザイス=インクヴァルト外相談話『英国軍にこれ以上の不穏の動きがあれば、断固たる処置をもって対応せざるを得ない。大使を通じて我々の懸念を明確に伝達する必要がある』」
12 Sep 14 UTC Autumn, 1940: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「【訂正とお詫び】先日の本紙において、『イタリア共和国』という記述がありましたが、正しくは『イタリア王国』です。すべての読者とイタリア国王陛下、そしてイタリアの全国民に対し、お詫びをいたします。 【社説】悪いことをしたら、素直に認めて、すぐあやまりなさい。子供は小さいころに母親からそう教わるものだ。しかし大人になるにつれ、我々はそれをついつい忘れてしまう。今回、本紙は読者だけでなくイタリア王国に対して極めて非礼なミスを犯してしまった。謝罪はもちろんのこと、問題究明に真摯に取り組み、二度とかかる過ちを犯さない。これが全社員の心に刻まれた教訓である。ところで極東では、日本のクオリティペーパー・朝日新聞が複数の誤報を犯しながら謝罪を渋ったことが大きな社会問題となっている。これを他山の石となし、襟を正すのが、我々を含む世界中のジャーナリストに今課せられた使命と言えよう。」
14 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 【速報】パリの大学生の集団が軍事施設や国防省を占拠。軍を解体し民間軍事会社を設立、旧仏軍を事実上継承した。軍事力を求めている国家からの出動要請を待っているという。
14 Sep 14 UTC Autumn, 1940: 【速報】パリの大学生の集団が軍事施設や国防省を占拠。軍を解体し民間軍事会社を設立、旧仏軍を事実上継承した。軍事力を求めている国家からの出動要請を待っているという。
16 Sep 14 UTC Spring, 1941: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「ケーニヒスベルク、赤軍の手に落ちる。ワルシャワ駐在の国防軍機甲部隊の判断ミスにより、我が民族の母なる領土を蛮族の手に汚される、この上ない屈辱がもたらされた。総統府はゲルト・フォン・ルントシュテット司令官の罷免を決定。国防軍最高司令アルフレート・ヨードル総長談話『国民の生活と財産を危険にさらした責任を重く受け止める。早期のケーニヒスベルク奪還と、侵略者の打倒によって、この罪を贖う所存である。』」
18 Sep 14 UTC Autumn, 1941: 英国大衆紙 ザ・サン「【1面】急転直下の対伊攻撃! ジブラルタル方面軍、無血でアルジェリアを制圧。 エジプト方面軍はリビアに進撃。こちらも無血で英領となる見込み。【2面】独ソ戦激化! 独軍フィンランド北部に上陸成功、ヘルシンキおよび北の不凍港ムルマンスクに迫る。一方でソ連軍は東プロシアの中心都市ケーニヒスブルクを占領。【3面】独伊枢軸、好連携をスイスで見せフランス軍を撃退。トレントに立てこもっていたフランス軍についても包囲殲滅に成功した。【4面】イタリア国内で首相おろしの動き。アフリカの植民地の失陥を受け。【社説】昨年秋のフランス西部無血占領に続き、再び無血で利益を得た国王陛下の外交手腕は、我が国史上最高といっても過言ではない。戦争とは手段であり、外交で問題を解決できるのであれば、それに越したことはないのである。そして、国王陛下が政治にかかわるようになって以来、我が国は一滴たりとも血を流していないのだ。国王陛下万歳!」
18 Sep 14 UTC Autumn, 1941: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「独ソ外相会談が緊急開催さる。ザイス=インクヴァルト外相は『ケーニヒスベルク占領の暴挙は甚だ許し難く、早期の撤兵なしには交渉妥結はあり得ない』と強く主張するも、ソ連のモロトフ外相は『ケーニヒスベルクは制圧したものの占領したわけではない』などと回答を濁し、交渉は停滞している模様。識者は交渉の決裂を懸念している。」
18 Sep 14 UTC Autumn, 1941: NSDAP機関紙 フェルキッシャー・ベオバハター「総統府は全軍に作戦指令イシハラの発動を号令。ドイツ民族の名を歴史に残すべく、苛烈なる反撃を展開、逆徒に無慈悲な鉄槌を下すものである。」

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